ぶら下がり日誌~ボルダラーへの道~

釣りときどき岩、そして

パイドン

 む、こんな感じでひとつ終わるごとにまったりしていたら、時間も存外飛ぶように過ぎ去って、日々たのしく送っていけるのかもしれない。

 

 仮に「次また次」と急いで―かどうかは知らぬ、前のめりと言い切ることすらできそうにない―進んで行って、しかしこれではたとえ時間が空いても「休む」ということができにくい。赤信号でもあれば別で、これはいくら急いでいても停止を余儀なくされるからだが、いずれにせよこの待ち時間を享受するとき問題があるとすればそれは感じ方だ。

 

 気が急いては休めないし、急いでいるから飛ばしているので、こういう心的状況はそもそも休息には向かない。燃費のことを言えば定速の方が効率は上がるのだそうだが、人生におけるそれはまた別であるように私には思われる。

 

 急なる心の持ち主は往々にして速度を求める。彼らの中には飛ばし続けることを至上と心得る者もいる。間断なく動き動かされるのを善しとすること、これは人生に向かう一つの態度であり、それ自体は誰に咎められるものでもない。それはマグロに向かって「お前は泳いでばかりでいかん」と言うようなものだ。

 

 こう見てくると、各々が思うままに生きることに疑いを容れる必要はなく、むしろ生き方に殉じるよう心得るのが至当であるようにさえ思えてくる。

 

 とはいえ、それがひどく難しいという事実については、残念ながら筆者にはどうすることもできないのだが。またそのうちに考えてみよう。