ぶら下がり日誌~ボルダラーへの道~

釣りときどき岩、そして

映画の話3.5

 007にイマイチ乗れなかったという話。

 

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 初めて見たダニエル・クレイグのボンド、言いにくいけど何だかイメージでない。近年のボンドはB級スパイよりはシリアスなA級ヒーローを目指しているみたいだ。ハリウッド・ヒーロー化とでもいったらいいか。そうなるとダブルオー部門はシナリオを作る上で足枷にしかならんよな。

 

 Qの提供するSF的装備―すんごい車とかルパン三世みたいな時計とか―があって無視するわけにいかんから、どうしてもどっちつかずな感じになっちまう。ファンタジーとリアルにどう折り合いをつけるか、根本的な問題にぶちあたっていると感じられる。

 

 いっそのこと昔のようにB級コミカルスパイアクションに戻って徹底的にやればいいと思うのだけど、歴史と伝統が出来上がって邪魔をするし―何せもはや大作の域だ、うかつなことはできない―、一流の脚本家は当然ながら一流のホンを書いてしまうから、どこかで人間性に対する深遠な洞察が入らざるを得ず、それと007の持つ世界観は、どうしてもぶつかりやすくなってくる。

 

 金をかければかけるほど大作となり、大作になればなるほど対立も深くなるわけだ。といって『女王陛下の007』みたいにハジけられても困るから、この辺の塩梅というのはほんとうに難しい。個人的にはやはりショーン・コネリーが格好いいと思う、と言うくらいしかできない。何だそりゃ。

 

 まあ何にせよ007は英国人の気概をよく表しているように見える。不可能に挑みたがるというか、自力で困難を克服することに誇りを見出すというか。

 この英国人由来の冒険的資質と、夢を勝ち取って成功することへの渇望、これらがアメリカでくっついて、マーベルものをはじめとする種々のヒーローを生んだのではないかと思うのだけれどどうだろう?

 

  その伝で行くと『ミッション・インポシブル』なんてのはあれは生身の人間の超人化という線になるか。これまた近作におけるトム・クルーズのフィジカルの仕上がりっぷりを見ていると、そう考えたくもなるのやが。

 

 ま、今度また考えよう。