だだちゃ

 カレンダーを見ていたら、早いもので讃岐に来てから1年ちかく経過していた。

 

 時間の感じかたが子供のころと比べてずいぶん変わってきている。昔はいつまでも日が暮れなかったし、一日はもっと長かった。楽しい時間は永遠につづくように思えた。

 

 それがいつからそうでなくなってしまったのか、いまとなっては知る術もないが、しばらく前に藤子・F・不二雄の短篇を読んでいたら、このあたりうまい説明があって、どの作品だったかちょっと思い出せない。

 過ぎ行く時間の感じかた、それは現在まで生きてきた時間のうちの、これから来る時間、その割合でとらえられるから、子供のころは長く感じ、大人になるにつれ短くなっていくと、そんな話だったと記憶しているが、でもきっと老境に入ったら逆に長くなるんじゃないかとも思え、なかなか一筋縄にはいかなそうである。

 

 何せこの調子で善悪や道徳をよりどころに、平和につつがなく生きていければまずは言うことはない。これで家に帰ってビールに茹でた枝豆でもあれば、考えるに付け加えることはなにもない。

 以上、連絡おわり。