ロバのパン屋さん

 暇だ。予定通り暇というとおかしいがやはり暇だ。上長から計画的残業を示唆されたので、その通りやってみているが、どうにも暇だ。

 

 労働力の提供と考えれば、こうして座っているだけで最低限満たされるから、このまま待っていればそれでいいのである。手当だってもらえるし、課長も喜ぶ。

 

 どうしてかというと、残業ゼロで働くと「人員が余っているのでは」と疑われ、ひいては管理者としての課長の評価が下がるのである。この国の組織は本当に根元から腐っていると思う。労働時間で人間を測ろうというのは、測る人間の眼が節穴であると宣伝しているようなものだ。

 

 出社時、昼休み帰りと、会社に通じる坂を上っていくと、つくづくまともでないと感じられる。毎日毎日同じ時間帯に同じことを同じように行う。そこにいる誰もそれを望んでいないのにもかかわらず。

 

 誰が何と言おうと暇だ。トルコの諺ではないが、いまやらずとも明日やればいいのである。いまからやったって疲れているから能率は悪いしいいとこなしだ。この国の労働者はペース配分ができないのだろうか? それともスローペースで固定されてしまっているのだろうか。

 

  ところで何食わぬ顔って普段何食ってんだろう? 人を食った話って、何の話なんだろう? よくわからない。

 

 もっとよくわからないのは、いま事務所にいる人間はみんな暇であるということ。なのにどうして帰らないのか、理由はいろいろあるんだろうが、きっと本人たちにもわからないだろう。

 

 日本人って、会社が家なのかな。会社にいないと落ち着かないのかもしれない。だとしたら家に帰るのではなく家に行っているだけで、朝会社へ帰ってくる感覚なのかもしれない。これってけっこう異常だと思うのだけれどどうだろう?

 

  家に魅力がないわけではないだろう。好きなものに満たされた時間が、会社で過ごす時間に劣るとは、考えにくい。ではどうしてか? 

 

 ・・・ひょっとしたら自分の生活がないのかもしれない。帰ってもすることがないのかもしれない。働いている間だけ、自己を確認できるのかもしれない。

 

 公共の、社会の役に立っているという免罪符、時間のやり過ごし、それらを求めてある種の人々はせっせと会社に居残るのかもしれない。

 

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 というようなことを6年ほど前に書いていた。今は隙あらば生活残業をつけようと毎日狙っている。