映画の話3

 近頃では映画を観てもすぐ中身を忘れてしまう。もうこれは根本的に脳が衰えているのである。

 

 「歳月は知恵を生まず老残を増やす」などと言うように本当に年食うとロクなことがない。見方を変えるとこれは「尊敬できる老人が現れたら大切にした方がいい」ということかもしれないが、そんなのは実はまやかしかもしれないからその時にまた考えた方がいい。

 

 それでまあ「どうせ忘れちまうんなら何観たって一緒だ」となって、人は徐々に映画に関心を払わなくなっていく。どうも映画というものは本質的に若々しい精神の輝きを求めるものであるようにも思えてくる。

 

 鑑賞者の質が下がると映画の質も下がってくるから―このあたりどこまで本当かわからない―、今の映画が昔に比べてつまらなくなったとしても半ば自分のせいで―ダラダラ観てないですぱっとやめちまえばいい―文句は言えない。やれやれ、参るねえ。

 

 ところで映画館に行くのとDVDを借りて家で観るのと、どっちがイージーか、一概には決められないが、あえて言えば前者の方がかんたんである。観る映画に注意を払わなければ、もうこれはたんに映画館に行けば話はそれで済むのであり―そのとき流れているのをただ見れば良い―、DVDショップなどというのはどうしたって選ぶことになるから―選択肢が多いとどうしてもそうなる―、オンボロ映画館の方が気楽だ。

 

 まあ何せものを選べなくなってきたら、これも己の精神を顧みる潮時であると思った方がいい。

 

 それでどちらにせよ最後に何が残るかというと、ただ「映画を観た」という感慨だけが残るので、つまるところ精神の中高年はそれを求めてせっせと館に通うのかもしれない。受付の話はまた今度。

 

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 というようなことを5年前に書いていた。いまは配信動画がますます隆盛して、気軽に館にも行けないから、うちでもNetflixを導入してみたが、このところ稼働していない。

 

 『釣りバカ日誌』が思いのほか面白かったことを申し添えて終わりにしよう。

 

 

パタゴニア