あした天気になあれ

 漫画の話、ではなくて。

 

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 うまくいかないときに何かのせいにする、いたって普通のことだ。問題があったとき、思うようにならぬとき、想定と違ったとき、どうしてそうなのか、あるいはそうなったのか、考えようというのは自然な流れだと思う。原因究明というやつですね。

 

  それでこの原因、これがまたいろいろあるわけだけれど、それだけでなく相互に絡まりあい、もつれあい、あるいはくっつきあっているのが常で、なかなか何がどうなっているのか、わかったものではない。

 

 原因、それが究明されてのち、たいした対策がブチ上げられないのは往々にしてこのためで、究明された原因は、ずいぶん特定されてはいてもまだ複雑に絡まりあったままだから、そこからさらにときほぐすことは、とてもできんのです。ルアー釣りなんかでリールがどうしようもなくバックラッシュしたときの感じを思い浮かべてみてほしい。

 

 ゆえに原因とは厳密にははっきりとわからぬものであり、それゆえに対策がとれずとも、仕方ないといえば仕方ないようにも思える。

 

 だから原因を探すとき、あんまり目を血走らせたりはしないで、あっさりと天気のせいにしてしまう、というのはひとつのやり方なのではないかと思ったのです。三上寛曰く、「サルトルマルクス並べても 明日の天気はわからねえ」ということで。

 

 天気は確実に人間の精神に影響を及ぼすから、人のかかわるどんな事象にもどこかにひっかかってくる。おまけに他人のせいにしたときのように憎悪の無限ループも生じなければ、中途まで原因を突きとめたときの対策なき無力感に苛まれることもない。

 

 と、いうわけで皆さん、これからは何か気に入らないことが起こったら、安心して天気のせいにしてしまおうではありませんか。

 

 

 

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