ディエンビエンフー

 怒りは意図の反射から生じる。望まぬものが返ってくる度いつも眉を吊り上げるのは良くないとは思うものの、怒りを避けようと意志をも薄めてはならない。

 

 望む仕方、意志の持ちよう、受容のありよう、これらを閲し、吟味し、調整して、彫琢していくことだ。ある種の目的を達成するためには注意深く手段を選ぶ必要がある。

 

 我々は日々少しずつ年を取っていく。違いはあまりに僅かで自分では気づくことができない。数十年後にふと振り返り、過去の自分に照らしてその変わりように愕然とすることはあっても、知らされるのはあくまで結果のみで、相変わらず明日を見ることができない。

 

 目指し、動き、受け止め、修正する、その繰り返し・・・・・・どうしてだ? ひょっとすれば、己が何を求めるか、己に何が必要か、わかっている人間が少ないか、もしくは、精神が腑抜けて持続が難しくなっているのかもしれない。それらの混合という線もある。その辺は明瞭でない。

 

「それはとてもかなしいことだ」灰色の男が言った。

「何が効いているかなんて、誰にわかるんだ?」赤毛の男が言い放った。

「世界はいつでも我々の手に余る」そう緑色の小人が言った。