浄眼

 コンタクトレンズは涙の海に浮かんでいる。

 

***

 

 プラスティックの眼球は、傷がついたりするとたいへんだから、きっと日ごろの手入れに気をつかわねばならないだろう。

 

 私もときどき眼球をとり出して洗ってあげたくなる。眼とヒョロリとした尻尾のような筋を眼窩からゾロリと引きだしタライの水にザブリとつけ、しゃぶしゃぶしてから表面のヌメリをとって、家の縁台の板子にのせて陰干しにするのだ。

 

 翌日の昼、丁寧に埃を払った眼をパコリとはめこめば、うつくしい世界がくっきりと立ち現れてくるかもしれない。

 

 ともあれ、眼が疲れているひとやドライ・アイのひとや緑内障のひとだけでなく、花粉症のひともまた、眼を洗いたいといちどはおもうものらしい。偏頭痛もちのひとが脳みそをとり出して洗いたいとおもうように、宿酔の人間が酒漬けになった脳みそをこめかみから紐のようにとり出して洗いたいとおもうように、洗うという行為は清めであり、わるいものを落とすためにある。

 

 それで今年になって眼がカユい。頭のなかもカユい。あゝ洗いたい洗いたい。夏よ来い。疾く、はやく。

 

f:id:krokovski1868:20211229075217j:plain