永久カレー=ルー足し。
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調子に乗ってカレーなど食べ続けていたら、にきびができてしまった。参るねえ。
最近になって気がついたのだけど、カレーの皿を置くときの向きを、何となくいつもルーを左に、ごはんを右にしていたが、これは、スプーンに飯粒がくっつくことを真剣に考えると、右手にスプーンを持つ場合、右ルーの左ごはんの方がいいのではあるまいか。あるいは奥ルーの手前ライスか。それともポタージュか何かをすくうように、手前ルーの奥ライス、とすべきなのだろうか。ちょっとすくいにくいな。
そもそもどうしてああいうスープは手前からすくわにゃならんのか。あれかな、スプーンの裏を見せないとか、そういう話かな。何か理由があるのだろうがよく知らん。
もうひとつ気がついたのはルーとごはんのバランスで、これが意外と各人各様なのですね。複数人で食べるとバランスが一気に崩れてしまうことがある。ルー多めごはん少なめ派の人間が多いと先にルーがなくなるし、逆もまた然り。
見方を変えると、バランスの違う人間同士がうまく集まった場合、用意したカレーライスに対する場の幸福度が最大になる可能性を秘めているといえる。この辺は柿ピーを複数人で食べる場合と事情は全く変わらない。だいたいは何となく気を遣って、何となくバランスを取るのが通例となっている。
話は皿の形状にも及ぶ。楕円なのか丸なのか。楕円だと縦に置いたら食べにくいから、右か左になりがちで、丸皿なら上下左右どこでもOKである。
すると、誰かに初めてカレーを振舞うとき、丸皿にしつつ、かつセルフサービスにすることで、その人のスタイルがおおよそわかってくるというわけか。この辺はズボンをどっちの足から履くかと一緒で、無意識に行っているはずだから、まず操作はないと考えていい。
そうしておいて、自分と反対のルーライスバランスの人間を選んでカレーを食べればいいわけか。なんかもう聞いた方が早いな。
むしろ「適当に集まってカレーを食べたら適量炊いたのにアッという間にごはんだけがなくなった」とか、そういう方が話としては面白いかもしれん。いずれのパターンでもルーがなければルー足しを、ごはんがなくなりそうなら追加で炊く準備が不可欠である。
・・・いや、違うな。頑張っても食べきれない量をあらかじめつくっておけばいいのか。集まりが終わってカレーが余っても、自分たちで食べればいいのだから。寝かせればさらにおいしくなるし。
およそこんな調子で、カレーというものは、どうやっても作りすぎ、食べすぎがちになるのだろう。
知り合いの外国人で日本のカレーにここまで執着した人は今までいなかったから、やはり日本人にとってカレー、とくに固形ルーを使った「おうちのカレー」というのは、特別なものであるようだ。