何もかもから遠く離れて、新たに始めたと思っているのに、多くのことは意に反して記憶から消えない。
記憶は改変される。記憶は作られる。それは単なるデータではなく、生きていく中で我々の体験をフィードバックし、その時々で新たな光をあてられ、別な意味を獲得する。記憶はむしろ生きもののようで、少なくとも流動的である。
記憶のこうした性質のおかげで、我々は年を重ねても生きていける。ため込んだ記憶、すなわち幾多の経験をくぐり無数の意味を与えられた記憶を賞玩し、その中で生きていくことができる。
老人の記憶、それは複雑にカットされた宝石なのだ。
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人々はカウチにねそべるか、床に寝ているかしていた。彼らは友だちか、あるいは友だちの友だちだった。みんなが知り合いなのだ。
調査官は「こんなに汚れた住居は見たことがない」とのたまったが、周辺の地区の状況を鑑みれば、これはむしろ大したものと言わなければならなかった。それというのも、この納屋に住み着いているのは5等かそれ以下の連中ばかりだったのだから。
実際、彼らには部屋を掃除するなどという概念はないのである。そんな発想が生まれるようならとっくに4等以上になっていなければおかしい。
5等以下の国民にとって生は食と区別がつかない。彼らは食うためだけに生きている。生きるために食っている。
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違ったようで実は一緒かと言ったら、そういうわけでもないのだろう、知らんけど。