目的が見つからないのは、くるしみ足りないからだ。目的は暇のない中から炙り出されてくる。それは忙殺されきらないかたちで立ち現れてくる。
そんなわけで私はPCに向かった。何を書こうというのか、自分でもはっきりとはわからないままに。
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恐怖や不安を、合理的なものとそうでないものに分け、合理的な不安に意思をもって対処する、という方法はあって、これは実用的ではあるのだが、いつでも使えるわけではない。
筆者に言えるのは「あまり不安というものを軽視しない方がいい」ということだけである。一見、理由のないような不安であっても、それは精神がさまざまな情報を無意識のうちに集め、ふるいにかけ、出した結論が、不安という形をとって現われているからである。
こういうとき、無理に不安の正体を突き止めなくていいと思っている。ただ不安であることを認識するだけでいい。それだけで十分な備えになる、と思う。