書物の神、トト

 脾肉を嘆じている時間は過ぎ去った。豆苗だけでなく小ねぎも再生させねばならない。

 

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 節約というよりは生活のダウンサイジング。もともと、必要なものはそんなにないのである。時間と金が余れば、新しいものごとに費やしたくなるというだけで、そうでなければ、それなりに遊ぶだけだ。そして、それでもなお余りあるほど、すでに取り巻かれているのである。

 

 きっと入手すること自体があまりにも楽しいせいだろうな。消費が入手に追いつかなくなって、手元にモノがどんどん増えていく、このスパイラルから抜け出す方法はあって、何かといったら「ぜんぶ捨てる」である。

 

 失ったもののいくつかはあとで買い直すことになるだろう。だからといって買い直せそうにないものを予め吟味してはいけない。さもなければ、あなたの持ちものは床に置かれた荷物のように、永久に増殖し続けることになる。

 

 ・・・その、CDはともかく、本をどうにか減らしたい、という話。

 

 この15年ほど「CDは手元に10枚まで運動」を続けた結果どうなったかというと、上述の通り同じCDを何度か買うことになった。現在は「子のための音声ライブラリ作成」という名目でこの制限を撤廃したため、音源は増えてきているが、それでもせいぜい100枚までに収まる見通し。

 

 もはや配信があるので、フィジカルを手元に置く必要はそれほどないのである。そうなるといきおいマイナーな盤の方が増えて、そういうものは往々にして個人的な体験に紐づいているから、結局は自分用の音源に近づいてしまう。マズイねえ。

 

 本についても「手元に数十冊まで運動」を試みたことは何度かあるのだが、その度に失敗してきた。どうやら同じタイトルの本を平気で数冊持つような人間には、この手は効かぬようである。

 

 本が増えて自分自身を圧迫し始めたとき、先輩の助言で「本を隠す」というのを試したことがある。流しの下など、とにかく目につかないところに隠すのだ。ただの対症療法なので根治はしないが、時間稼ぎにはなる。心当たりのある方はやってみてもいいかもしれない。

 

 資金に十分な余裕があって、移動も可能なら、広い部屋に引っ越すのが正道である。ただし生きているうちは際限なく部屋は広がることになるし、時間の経過とともに、引っ越しにかかる費用と手間が嵩んでいくことは、認識しなければならない。

 

 となると、十分な土地を持って必要に応じて建て増ししていく、というのが理想形になるだろうか。土地がなければレンタルスペースという手もある。そういえば友人が昔使っていたが、今はどうしているのか知らん。

 筆者の場合、幸いにも病はそこまで重篤化していないので、まあどうにかなるといえば、どうにかなってしまいそうである。

 

 

P.S. 小松菜も再生できるというので、半信半疑ながら同時進行中。ポイント活動家から再生屋にジョブチェンジ、なんつって。

 なお、ポイ活は結局Coke Onに軍配が上がった。筆者は長年アンチコカコーラを標榜していたが、これで降参した。やっぱり資本にゃ勝てないわ。

 以上、連絡終わり。