強いて言えば子育て自体がリスキリングの一種だと思うのだけれどどうだろう。
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筆者は吉田健一もどきを気取ることはできても石川淳のようにはどうやっても書けそうにない。こういうのは体質の違いとしか言いようがない。
井伏鱒二がどこかで言っていた通り、書けば書くほどある種の調子が出てきてしまう。とくに随筆はルールが緩いせいかそうなりがちだし、そうなったほうが楽なので、実際にそうなってしまう。ギターの手癖となんら変わらない。
このところ毎日なんでもかんでもなにか書いていたら、たしかに文の中に一定の調子が出てくるのが感ぜられた。構図からというよりも、調子の方から文体を考えていく方が、性に合っているのかもわからない。
手癖を嫌がるというより、そこから抜け出すというより、手癖をどんどん更新していけばいいような気もしてきた。自分が読みたいものを書き、聞きたいものを弾きたいのだから、自分の気に入らないものよりも、気に入るものをどんどん取り入れた方がいいように思えてきた。弱点をいかに克服するかというのはまた別の問題である。
なんでもかんでもバランスでは面白くないものな。それでは聖人だ。なれないし、なっても聖人だ。あまり真剣に目指すのは私にはできそうにない。
以上、定期連絡。