Intermission

 犀の皮のように丈夫です。

 

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 数ヶ月まえ、妻子が里帰りしているあいだに『ラストバイブル3』というスーパーファミコンソフトをクリアした。プレイ時間は25時間。なんの気なしに電源を入れたら、最後までおもしろくあそべた。

 

 『ラストバイブル』といえば『女神転生』シリーズの外伝であり、『女神転生』といえば天使や悪魔がでてきて哲学的になって暗いというイメージだが、あっているか知らない。この手の作品はグラフィックもシリアスで強面なことが多く、敬遠していまにいたっている。聞いた話では『女神転生』は『ウイザードリイ』や『ダンジョンマスター』のようなローグライクゲームだったはずなのだけれど、本作は俯瞰視点のいわゆるRPGなので、だいぶとりつきやすかった。

 

 こんなふうに書きながらじぶんの好きなゲームについてあらためて考えると、たとえば『タクティクスオウガ』はストーリーは重厚でテーマも深いが、攻略は完全にボードゲームのノリである。『ロマンシング・サ・ガ2』はモンスターの造形はシリアスでハードだが、神とか悪魔とか生きるとは何かとか、そういう話はでてこない。かわりに「伝承」という概念が大きくフィーチャーされている。

 

 まえにも書いた『トルネコの大冒険』にいたっては、ローグライクといっていいのかどうかもわからない。物語性は殆どないといっていい。ある意味ではゲームらしいというか、スコアを伸ばしていくようなおもしろさがある。ダンジョン攻略ゲームなのはたしかだが、見かけは完全にドラクエである。

 

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 あと思いつくのは『マザー2』とか『新桃太郎伝説』とか、PSの『幻想水滸伝』とか、むしろそのくらいしかクリアしたゲームを思いつかない。要は折にふれて名作をちょこちょことあそんできたにすぎない。

 

 ゲームのジャンル区分というのは考えだすと割とちゃんとしなければならなくなる気がするが、筆者のようなライトゲーマーの手にはおえない。例によって最適なゲームバランスが各人各様なのがたしかだというだけである。

 

 ほかにつけ足すとすれば、ウイザードリイやダンジョンマスターは、ディスプレイの文字が読みづらいとか、操作がしづらいとか、ストーリーとは関係ないところでプレイしづらい気がしている。PC由来のソフトはとくにその傾向があるというか、むしろそういうゲームが苦手分野なんだよな。いいかえると、説明書なしであそびにくい作品はやはりとっつきにくい。

 

 ハードに関しては、へなちょこライトゲーマーとしてはスーパーファミコンくらいのバランスがいちばんあそびやすい。容量もちょうどいい。ファミコンだとちょっと背伸びする感じになるし、PSは後半くらいから「もう十分です」という気持になってくる。

 ゲームCDが4枚組などといわれると、期待よりも大仰さがさきだってくる。2枚でも多いくらいである。このあたり完全に音楽CDとおなじ感覚になっている。

 

 プレイ時間については、むかしから24時間がひとつの目安のように思っている。20時間くらいだとアッサリめで、30時間をこえると大作の様相を呈してくる。

 

 これは映画の尺にたとえると、それぞれ2時間、90分、3時間以上という対応関係になっている。4枚組のゲームはインターミッションありの4時間映画だと思えばいい。現実のシミュレーションという意味では、映画でもRPGでもたいしたちがいはないと筆者は考えている。

 

 そうなってくると、映画を観るのがいちばんてっとりばやいというのはほんとうで、池波正太郎が「映画を観ると得をする」と書いているのも頷ける。

 

 しかしながら、人間はつねに時間効率と利益の最大化だけを求めて生きているわけではない。役に立たないことにこそロマンが眠っている。見棄てられたもの、打ちすてられたもののなかに夢がのこされている。泥のなかに蓮が咲く。砂のなかに金が埋まっている。ウンまあ何をいっているのかわからない。

 

 兎もかく、レトロゲームである。もはや失敗作でもあまり気にならない。むしろ多少破綻しているくらいのほうが、プレイしていておもしろい。ことによるとわれわれはレトロゲームに教育されているのかもしれない、などというと怒鳴りこまれそうだが、すくなくとも私はそうかもしれない。

 

 ・・・しかし長いな。『ラストバイブル3』についてはまた今度。(この項了、次回につづく)