He’s a taker, but I’m a stealer.

 憎むかわりに、嘆くかわりに笑え。皮肉でも嘲笑でもいい。かなしんで泣くよりはマシだ。

―ドクトル・クロコフスキー―

 

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 よく「世の中には2種類の人間がいる」といういいかたがある。これはだいたいなんにでもつかえるが、そういうもののつねとして、ほとんど効果というものがない。たとえば、奪う人間と奪われる人間、ギターを弾く人間と弾かない人間、虫歯のある人間とない人間、といった風に。こうした分類からこぼれ落ちてしまうものはあまりに多く、こぼれたぶんまで相手にするには、われわれの脳の容量はいつでも小さすぎる。

 

 奪う人間は、他人を踏みつけることによって、不断に自らの地盤をかためようとする。あるいは自分のまわりにせっせと粘土で鎧をつくる。どれだけ強固にしても本人は安心できないし、ほうっておくと粘土がはがれたり地盤沈下するから、たえず補強が必要なのである。おまけに補強すればするほど重くひっつくいて身うごきがとれなくなる。本人は必死だから笑えない。

 

 他方、奪われるのはどんな人間かというに、これがひとことではあらわしにくい。要するに奪うひと以外なのだが、たとえば自信のあるひとが、だまって奪われるままにするだろうか。自信のあるひとは誇りたかいので、そんな横暴を許すはずがない。自信と誇りは相補関係にあるからだ。

 

 しかしながら、現実には、自信があっても奪わせるままにするひともいる。曰く「金持ちけんかせず」であり、将棋でいえば面倒見のいい棋風であり、格闘技なら相手の技をうけるプロレス流である。

 

 これに対し、盗むというのは極悪である。なぜというに、たとえばもの書き、これはなんでも貪欲に観察し、洞察して材料にしてしまう。いろいろのものからすこしずつ気づかれずに奪っていくのであるし、おまけにそれをのべつまくなしに書き散らしてメシの種にしているのだから、悪党いがいの何ものでもない。

 

 盗むとは、気取られずに奪うことである。以上、連絡おわり。