くばられてくるもしらばくれている

 シンガーソングライターは現代の詩人である。プロレスラーは現代の語り部である。

 

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 あっというまにわすれてしまうことがらばかりなのに、いつまでもおぼえているというのはじっさい、奇妙なものだ。それも「おぼえている」という事実のほうが数倍だいじで、中身は事実とちがっても一向にかまわないのというのだから、何やらよくわからなくなってくる。

 

 「いわれておもいだす」というのもあるが、これは記憶と自我との関係からすると、自我が流動的なだけでなく相互作用的であり、もっというと積極的にかえられうることをも示唆している。すなわち偽の記憶をつかまされることもじゅうぶんありうるというわけ。

 

 だから、というわけでもないだろうが、「他人の靴に足を入れる」というのは大切である。しかしながら、それを習慣にするにも本人の意思が要るし、それだけでは十分とはいえない。いっそ他人の記憶の溶けた水でものまされれば、うまく意思疎通できるようになるかもわからない。

 

 そうかんがえると、コミュニケーションにはある種の想像力が不可欠で、それは立派な才能といっていいのかもしれない。一流の奏者が共演者の音を聴き、彼らがこれまで音楽に捧げてきた時間をかいま見る、それのもっと日常的で、隠微で、しかしながら決定的なもの。

 

 ・・・なんのこっちゃ、ワケ、わからんくなりそうなのでおわりにしよう。再見!