ワンマン車窓から

 根拠の不十分な弁明は「言い訳」とよばれる。

 

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 「人工竜巻発電所 建設予定地」と書かれた看板はひどく色褪せて、すぐそばの川沿いに発電所がある。空はぽかりとして、遠くの雲の陰影が見える。どうやら太陽も手を抜いていないらしい。

 

 天災はそれじたい大きな変化であるとともに、べつの変化のキッカケともなる。きっかけというのはじつはどこにでもあって、われわれはつねにそれを探しもとめながら見つからないふりをしている。生活とはそういうものだ。とはいえ、キッカケとひとくちにいっても、たまさかの太陽の光の加減と天災とでは、これはやはり大きなちがいがある。

 

 われわれは変化をもとめ、そしておそれる。革命後の革命家はただの独裁者で、無政府主義者はいつでも変人よばわりされる。こうしたことが何を説明するのか、まだはっきりとつかめない。これからもつかめないだろう。

 

 ところで電車のガタンゴトンという音がどこからするのか、10年まえにようやくわかった。世のなかは気がつかないことだらけだ。遅いyo!

 

 ついでながらいま気づいたが、ひょっとしたらわたしの居場所は寝台列車にあるのかもしれない。寝ても覚めても移動している、身体的になんらの負担なく何処かへ運ばれていく感覚、そうしたものが必要である。以上、連絡おわり。