ノーム

 ひとつひとつの能力が目を見張るほどではないにせよ、いろんなことがまあ、ある程度できるなら、それらを組み合わせればいい。突出したものが見当たらなければ、それなりにやっていけばいい。要は組み合わせ方だ。

 

 どの程度かって? すくなくとも『耳を澄ませば』の天沢君のバイオリンくらいには腕に覚えがないとダメだろう。アマチュア以上セミプロ未満、といった感じだろうか。特定の分野ですでにセミプロ級の実力のある人は、得難いことだから大切にして、それを軸にすればいい。大事なのはやはり組み合わせ方だ。

 

 「キャリアは足し算ではなくかけ算だ」といわれてずっと聞き流していたのが、ここに来てようやく肚に落ちた気がしている。自分にいわれたわけでもないのに場所や状況まで覚えているくらいだから、思っていたより耳にのこっていたのだろう。違和感つきの何かありそうなものについては「名前を付けて保存」するのが習い性になっているから―どうしてかは知らぬ―、こういうペンディング案件はけっこうあるんよね。

 

 思うに、こういうタイプの人は、探しものを偶然見つけたときの感覚をときどき味わえるいっぽう、いつまでも見つからずに探していたことを忘れる場合もあるので、注意が必要である。対照的なのは「見つけるまでトコトン捜す人」ですね。こういうのは根気の有無ではなく、発揮のされかたがちがうと捉えたほうが妥当であるように私には思われる。

 

 まったく、この程度のことに納得するのに4年近くかかるなど余程アホだが、それでも納得できたのはいいことだ。こういうのは『餓狼伝』の村瀬豪三のようなスタイルともいえるかもしれないな。投げも関節も打撃も60点の奴と路上で遭ったら100点ひとつ持ちとおなじかそれ以上に危険という。そもそも危うきに近寄らないに越したことはないのやが、野次馬根性というのがあるからなあ。

 このあたり、釣りをしていて堤防からついつい隣の磯に出てしまうのと、何ら変わりはなさそうである。