話がながく感じるのは、余計なことをいうからだ。

 長ばなしのあとで、どうだったかときかれたら、いつかのスパルタ人のようにこうこたえよう。すなわち「出だしは忘れました。つづきはよく聞いていませんでした。いちばんよかったのは、結びです」と。

 

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 目標ばなしのつづき。

 

krokovski1868.hatenablog.com

 

 目標がじぶんのなかからでてくればいうことはなにもない。外からだと多少ややこしくなる。

 とはいいながら、やらされるのはかならずしもわるいことではない。現実はグラデーションだ。

 

 目標にする文型はウキウキするものがいい。なんども唱えるマントラに魅力がないとはじまらない。

 

 それらをふまえたうえで、基本的には、むずかしい目標を設定するのがいい。100をめざして50や70になることはあっても、50をめざして70にはなりにくいからだ。しかしながら、はじめから1000などと野望を抱くと、あきらめて0になってしまいかねない。

 

 目標が数値化しやすいものになりがちな点も記憶しておいてよい。あまり定量化がすぎると、それ以外の部分をみとめない、ということになりかねない。

 

 といってあまりに曖昧だと、こんどはスローガンや社訓とおなじになってモチベーションを誘発しないし、それならといって具体化しようとすると、数字にしたくなる。あいだをとったような目標設定をしたところで、それ以外の部分を手抜きしたり、いわれた以外の工夫をしなくなりがちである。ことほどさように数値目標と行動目標のバランスをとるのはむずかしい。

 

 さらに、目標には天井効果があるので、ちかづいたりあっさり達成しすぎたりすると、伸びが鈍ったり、それ以上の工夫をしなくなったりする。これも塩梅がむずかしい。

 

 なお、部署の人員それぞれの目標設定を、業務中に仕事に追われながらどうやってできるのかについては、残念ながら筆者の知るところではない。

 

 がちがちになるまえに退散しよう。アテー・アマニャン!