金子が過疎にして払底をかこつ。

 息子のさいきんのブームは株価コーナー視聴。このあいだまでぜんぜん興味なしだったのに、急にどうしたのか。ウチは資金ないよ!

 

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 今日も息子を背負って自転車で図書館へ。移動しているときはいいが、とまると泣きだすので、館内でもあっちをウロウロ、こっちをウロウロすることになる。くるしまぎれに棚にむかって流し目をくれていると、陳舜臣の『風よ雲よ』をみつけた。かれこれ10年ちかくさがしていたのである。

 

 

 というわけで図書館のつかいかたメモ。

 

1 ふだん行かない一角に足をむける。

 

2 立ちどまらずに歩きながら背表紙をスキャンする。

 

3 グッとくる本がみつかるか、2〜3周したらつぎの一角へ向う。

 

 こう書くとあたりまえのようだが、左右同時に気をくばるのがむずかしいように、習慣をかえるのはむずかしい。

 

 なお、実行にあたっては、ひとや柱にぶつからないよう、くれぐれも注意が必要である。このときではないが、わたしはいちど図書館の柱にしたたか頭をぶつけたことがある。本を抱えて歩いていて、向うに先輩がみえたとおもって目を移した瞬間ぶつかっていた。目から火花がでたが、それ以上にはずかしさときまりのわるさで汗がふきでた。それから柱のそばへ寄らなくなったのはいうまでもない。

 

 結局、図書カードをもっておらず、息子もシャウトしそうな気配だったため、そのまま自転車でそそくさと帰宅した。彼はベビーカーとチャイルドシードは苦手だが、自転車はオーケーなのでたすかっている。

 

 似たようなところで、さいきん図書館で隆慶一郎の『一夢庵風流記』を借りてきた。『こち亀』で大原部長が「いい」といっていたのを読んで以来、ずっと気にしていたのだが、じっさい見つけてみると、おなじく週刊少年ジャンプの『花の慶次~雲の彼方に~』の原作だった。マンガのほうは小学生のころに読んだおぼえがある。

 

 

 この種のますらおぶりというのは、いまは距離をおいて読むことができるが、もし20年まえに出会っていたら、くらっていただろう。こういうのは夢枕獏氏の作品などもそうで、私は『餓狼伝』を学生のころ偶然みつけて読んで、もろにくらった。

 

 

 私は、氏の格闘もののなかでは『蒼狼の拳~餓狼伝秘伝』の印象がつよい。大学1年の夏に古本屋でぐうぜん立ち読みしたこの作品が頭からはなれず、あとになって探しだして、いまも手もとにおいている。初期の作品は、表紙を天野喜孝氏が描いていたので、その影響もあったかもわからない。

 

 正直なところ、作品の出来ばえがこれよりも素晴らしいものはたくさんあるとおもう。本作はボルテージも高からず低からずというところで、おまけに本編ではなくサイドストーリーである。レイモンド・チャンドラーの小説で、本筋ではない脇道のエピソードが妙におもしろかったりすることがあるが、そういうパターンともちがう。

 

 名作であっても手もとにおこうとおもわない作品もあれば、評価はそれほどでなく自分でもそれを認めながら、いつまでも手もとからはなれない作品もある。出会ったときのフィーリングというか、食事は空気つきというか、うまく説明できないが、いってみればこれが縁なのではないかと自分ではおもっている。

 

 ひとにすすめるとしたらやはり第一巻になるだろう。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』しかり、作者や読者から怒鳴りこまれそうな気もするが、ある種の長編は第一巻につきてしまう気がする。

 

P.S.  氏の作品あるあるで、シリーズはいまもつづいている。『キマイラ』もずっと追っているが、どうなることやら。以上、連絡おわり。