切り取られた空

 若手はおしなべて気が利かない、だからベテランの受けがわるい、そうボスはいう。


 原因は単純で、雑用をさせないからだ。雑用をさせれば、気づくはずなのだ。あたりまえとおもっていた環境がまわりの手で整備されていることに。バラバラのようにみえる仕事がじつは互いにつながっていることに。

 

 そのようにしてすこしずつ仕事がわかり、ひいては組織のことがわかってくる。回り道のような雑用が最短距離であり、一見不合理でもっとも適応的な路である。

 

 ところがこれがうけいれられない。なぜならすぐに成果がでないから。自分で気づかないといけないから。気づき待ちになるから。

 

 わかる者はすぐ気づく。機械的になろうとしても、慣れてくれば余裕が生まれ、余裕が生まれればいやでもまわりが目にはいってくる。

 

 雑用をしないかきり、雑用をまわしながら仕事をつづけられるようにならないかぎり、実はいつまでも土俵にあがれないままである。そのままメインの仕事で成果をだして、管理職になったとき、下の気持を察したり汲んだりすることができず、うまくいかない理由がわからず自分も苦労し、部下も疲弊させる。結果としてワンマンになるか、黙って孤立するかの二択に追いこまれる。

 

 代々そのようにして管理職が生まれつづけている。これからもそうだろう。彼らが同僚を蹴落とし、部下を犠牲にし、自分自身も傷つけながら這い上がっているのというのが、この組織の、あるいはひょっとしたらこの国の組織の、偽らざる現状だからだ。


 やれやれ、参るねえ。