ぶら下がり日誌〜ボルダラーへの道〜

子育て、仕事、パン、文具。ときどきファミコン。

こまごま

 どうしても書く時間がこまぎれになるので、万年筆でゆっくり書くというわけにいかない。ボイスメモは精度が足りないし、出先でひとりごとを呟くわけにもいかない。となるとスマホのメモに書くしかなく、どうにかならんかとおもい、利き手だけでなく両方の親指をつかうようにしたら、飛躍的によくなった。


 誤変換を避けようとするとしぜんにひらがながふえ、それも自分の文体練習にとっては好都合なので、しばらくこれでいこうとおもう。親指の負荷もへって一石二鳥である。

 

 閑話休題。こまばなしのつづき。

 

krokovski1868.hatenablog.com

 

 こまの起源ははっきりしないが、木の実などをけずったこまが世界じゅうの遺跡から出土していることをかんがえると、なん千年もまえからあそばれていたものとおもわれる。日本こままわし協会ー世のなかに協会のないものはないーの説明によると、現在のこっているもっともちいさいこまは、エジプトで発掘された「たたきごま」だという。


 たたきごまとは、ムチのようなひもでたたいてまわすこまだそうである。わたしは見たことがなかったので、家人に聞くと、昭和のアニメで見たことがあるという。庭先で子どもがあそぶシーンだったそうだ。こまのまわしかたによって、ひねりごま、糸引きこま、投げごま、たたきごまなどにわかれるらしい。

 

 日本の文献にはじめてこまがでてくるのは『大鏡』だというから相当ふるい。『太平記』にもこまの記述があるそうだ。


 こまあそびが開花したのはやはりというか江戸のころで、元禄時代にさまざまなこまが考案されている。そのうちの貝ごまーばいごまーがのちのベーゴマである。写真を見ると、つぶ貝などのばい貝をさかさにして、中身をつめたもののようだ。やがて鉄製にとってかわられ、ベイブレードに進化していまにいたっている。

 

 日本の投げごまは心棒をながくしたところに特徴があり、それによって回転時間がのび、地面だけでなく手にのせたりひもにかけたりできるようになって、曲芸にちかづいていったということである。戦前は各地の木地師たちがろくろを挽いてこどもたちにこまをつくっていたそうだ。

 

 こまの回転にかかわるのは慣性の法則、ジャイロ効果および歳差運動(くびふり)であり、バランスの良いこまはくびをふらず止まったようにまわる。これは「ねむりごま」とよばれる。

 

 わたしにはこまが組織人の比喩に見えてならない。以上、連絡おわり。