幸福はあるとおもえばあるし、ないとおもえばない。あたるも八卦、あたらぬも八卦、まるでこんにゃく問答だ。
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何か足りない、ありすぎる、などと公言するのは、ほんとうははずかしいことである。ついつい、まわりのせいにしてしまいがちになるので、口にしてもいいことはあまりない。
しあわせは多くの場合ないものねだりであり、われわれがこころに描くまぼろしにすぎない。それでも追いかけないと気がすまないというのだから、まるで病気である。
そうしたまぼろしは、こちらが追いかければ、それにつれて逃げ足をはやめ、さらに遠ざかっていく。したがって、幸福を追うことは、それじたいが目標であり成果とならざるを得なくなるようにできている。
およそこのようにしてひとは追われる。せねばならないことがのこっているかぎり、何もできていないのだとかんがえて。
そうか、まぼろしを追って追われていたのか。ようやく気がついた。遅いyo!