無面目

 「あるポイントをこえればどんな危険もかわりはない」といったのはウォルター・バジェットだが、じっさい、危険というのはおかしなもので、そばに長くいると意識されなくなってくる。そのうちに「適当に危険な状況で生きていたほうがたのしい」などといいたくなってくるから、そうした声がきこえたら、ひとまずその場をはなれたほうがいい。

 

 適当な危険のなかで生きようとすれば、その日暮らしにちかづいていくし、安全をもとめれば、仮の姿でしか生きられない。といって独立しては生きにくい。なんの話?

 

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 前回のつづき。

 

krokovski1868.hatenablog.com


 いっぽうで、夢は見るものではなく、追うものであるともいえる。追ってはじめて、そのすがたがみえてくるからだ。山とおなじで、ながめているだけでなく、登ることによって、その全容がすこしずつあきらかになってくる。

 

 それにつけても、人類ぜんたいでみるとめぐまれた暮らしをしているとおもうと、どうにも気がとがめる。だから、というわけでもないだろうが、かねもないのに発作的に募金箱に小銭をつっこんだりする。それも堂々とすればいいものを、右顧左眄しつつコソコソと。何をしているのか自分でもわからない。

 

 以上、連絡おわり。