「あるポイントをこえればどんな危険もかわりはない」といったのはウォルター・バジェットだが、じっさい、危険というのはおかしなもので、そばに長くいると意識されなくなってくる。そのうちに「適当に危険な状況で生きていたほうがたのしい」などといいたくなってくるから、そうした声がきこえたら、ひとまずその場をはなれたほうがいい。
適当な危険のなかで生きようとすれば、その日暮らしにちかづいていくし、安全をもとめれば、仮の姿でしか生きられない。といって独立しては生きにくい。なんの話?
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前回のつづき。
いっぽうで、夢は見るものではなく、追うものであるともいえる。追ってはじめて、そのすがたがみえてくるからだ。山とおなじで、ながめているだけでなく、登ることによって、その全容がすこしずつあきらかになってくる。
それにつけても、人類ぜんたいでみるとめぐまれた暮らしをしているとおもうと、どうにも気がとがめる。だから、というわけでもないだろうが、かねもないのに発作的に募金箱に小銭をつっこんだりする。それも堂々とすればいいものを、右顧左眄しつつコソコソと。何をしているのか自分でもわからない。
以上、連絡おわり。