ジダイ主義

 半世紀まえに書かれた本を読んでいたら、下位文化にサブカルチャーとルビをふっていた。いまはどうか知らん。上下左右前後すべてあいまいになっているようにおもえるが、それがどうしたといわれても困る。

 

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 だいたい、ことばにしてほしくないものまでむりに言語化しようとするから、むずかしくなるのである。そういうのはだまってみていればいいのだが、できない。不安になってしまうからだ。

 

 圧倒的な力をもつなにかをことばにできないというのはおそろしい。正体のわからないものがちかづいてくるというのは、ホラーの定義そのものである。

 

 だから話はもどって、難解なことばが床に置いた荷物のように増殖していくことになる。あるいはことばを弄するのがめんどうになって、または疲れて、あるいはあきらめて、つくったひとのファンになって安心したくなる。私もそのクチである。

 

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 意味がありそうでない、ないようである。説明しようとするとたちまち力をうしなってしまう。半世紀前のデザインのようなことば。ことばの意味の否定というか、ところどころの意味はつたわらないが、ぜんたいとして何か響くものがあるという表現。個々の意味がまわりとうまくつながらないで、ぜんたいに一気につながっているような描きかた。読みを否定するような書きかた、そういうものを目ざしたい。

 

 手続主義的な文をかくのは学者やエセ科学者にまかせておけばいい。かんがえるのはAIにまかせて、人間はおもうことのほうへさっさと重心をうつせばいい。思案し思察し思料し思慮し、再思し三思し千思し吉里吉思すればいい。思索とはすなわち誇張なのだから。