サラット・チャンドラボース

 綴方ばなしの拾遺。

 

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 レイモンド・チャンドラーの作品にはときどき街とその生活者の描写がはいって、それが独特の雰囲気をあたえている。そのせい、というわけでもないのだろうが、自分でも似たようなことをしていたのに、さいきんになって気がついた。

 

 チャンドラーの翻訳について、ひらがなに傍点をうつのは清水訳の特徴といっていい。これは原文のイタリックとは無関係で―イタリックはむしろスペイン語につかわれる―、紙面ぜんたいの白っぽさがたりないとき、またはひらがながふえすぎているときに傍点で調節しているようにみえる。ブログ内で傍点がつかえるかどうかについては要継続調査。 

 

 そういえばチャンドラーの小説の舞台である40年代のLAは、戦後の復員の関係でアフリカンアメリカンの数が一気にはねあがった時期だそうだが、本編にはスパニッシュ系のひとはでてもアフリカンアメリカンはほとんどでてこない気がする。これも要継続確認。以上、連絡おわり。