神は細部に宿る

 文化とは、つまるところ集団のもつ価値観である。それをつくるのは無数のミクロなことがらで、ひとつひとつはとるに足らぬようにみえるものばかりだから、往々にしてないものとされてしまう。

 

 すると平板になる。奥行きがなくなる。表層だけになる。伝統がきえて、歴史がうしなわれる。

 

 にわかも古参も、老舗も新興も、一流も二流も、リアルもフェイクも、同一平面上にならぶ。ポストなんちゃらというのはだいたいそういう状況をさすのではないかとおもいいたった。

 

krokovski1868.hateblo.jp

 

 

 いちばんむずかしいところからはじめれば、もっとやさしいことがひとりでに理解できる、というわけにはいかない。おおきなテーマについて語ろうとするときも、一見して重要とはおもえないちいさな問題に、細心の注意を払わねばならない。つまるところ、どうでもいいような無数の細部を包括した全体のなかに、はじめてまとまったテーマが像をむすんでくるからだ。

 

 ちいさな仕事でも注意ぶかくきちんとする。その結果、何か意味のあることがでてくればのぞましい。細部に意味を見出すこと、ひょっとしたらこれがつぎの10年の目標になるかもしれない。

 

 以上、連絡おわり。