よくあるマニュアルあるある

 マニュアルはあればそれですむものではない。手順のおおくは担当者の微妙な塩梅に依っているし、細部はそれぞれ試行錯誤のすえにたどりついたものだ。マニュアルをきちんとつかうためには、マニュアルに沿って仕事をするなかで、マニュアルの核をつかみ、マニュアルを塩梅できるところまで、業務に習熟しならなければならない。

 

 そのような人間がいなくなれば、何もかもはじめからやり直しになる。つまり、マニュアルはつくるだけでもたいへんだし、マニュアルを柔軟につかえるようにするには、時間をかけてひとを育てなければならない。

 

 おまけに、そうして苦労してつくったマニュアルも、時がたてば更新せねばならなくなる。つまるところ、どんなすぐれたマニュアルでも、マニュアルとして固定された瞬間、机上の例題にしか通用しなくなるからだ。

 

 教わるのでなく盗めといわれるのはそういうことだ。1対1対応の説明ですむのなら、そもそもひとがあたる必要はない。毎回ちがう状況にあわせて塩梅する、その都度の方針すら、それがどの程度妥当であったかは案件がおわるまでわからない、それが現場だ。

 

 ある意味ではマニュアルはないとこまるし、中途半端にあってもこまる。それは実践的知識の流動体である。

 

 そういうわけで、ガイドラインというところに話はもどってしまうのではないかという気がする。ある程度の枠組みにもとづいて、各自で行きかたを練る。それがむつかしいというのはまたべつの問題である。

 

 以上、連絡おわり。