観察はそれじたいが複雑な過程をへた直観なので、それをもとにつみかさねたものが事実とはかぎらない。
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思考の過程をしゃべるのはかまわないが、なしですませられるならそうしたい。日常のひとつひとつの行為に理由を補足せねばならないとしたら、わずらわしいだけである。ざんねんながら、というべきか、日常とはすくなからず省略であるからだ。
ひとには大なり小なり簡潔さにたいする希求があるのではないかとおもう。わかろうとする、というのは、かんたんなものでこみいったものを把握しようとすることであり、還元するのとはちがうということを、わすれないようにしたい。
組織人としては、仕事に逃げないようにこころがけたい。忙しさのなかに逃げこまないこと。それは怠惰な多忙であって、勝手に期間を設けて現在をうっちゃり、仮のものとみなし、ついにはおろそかにしてしまう。
省察するときと属するときとの往還。もっといえば螺旋状に展開していく。
なんのこっちゃ、わけ、わからんくなるまえにおわりにしよう。以上、連絡おわり。