この年になってようやくわかってきたのだが、ひとというのは、ある場合には道具を杖のようにするものらしい。転ばぬ先の、というわけでもないだろうが、やはり己の属性として刻印されたものは、やはり大事にするに如くはない。道具が己を救うとまではいわないが、支えてくれることはあるとおもう。
道具じたい、そのためにあらかじめ与えられている場合もある。見かたをかえると、ひとはそのようにしてつないでいくといえるかもわからない。
なんせ、『ベルセルク』のベヘリットのように、捨てようとしてもついてきてしまうものがあるのなら、それと誼を通じておくしかない。まわりになんといわれようと、肌身離さぬことだ。
以上、連絡おわり。