マーブリング

 ウルトラセブンのオープニングから思いついた、というだけの話。ウルトラビームでストライク!

 

***

 

 タイトルのマーブリング、小学校の図工の時間に遊んだと妻はいうのだが、筆者はろくすっぽ覚えていない。マーブルといわれてチョコしかでてこないくらいだから、忘れているとしたほうが近い。近いといえばミス・マープルもうかんできたが、あのシリーズでは『火曜クラブ』が痛快でいい。

 

 

 

 

 アガサ・クリスティーだと『そして誰もいなくなった』が印象にのこっている。翻訳が清水俊二だったのはあとで知った。清水俊二といえば映画字幕の泰斗だが、訳業といったらやはりチャンドラーだよね、そう思って書棚をみると『大いなる眠り』は双葉十三郎である。近年では村上春樹の翻訳もあるし、田中小実昌もいたような気がしてはっきりしない。

 本を手元に置かないとこういうとき困るんだよな。ちなみに村上春樹の翻訳はフィッツジェラルドにつきると筆者は考えている。

 

 そんなこんなで棚からうっかり『チャンドラー語る』などひっぱりだしてしまい、それで一日がおわりそうな有様である。まあなんというかイギリス人が後天的に身につけたイギリス性というか奇妙なツイストというか、絶妙にひねりというかねじれが利いていて、ついつい釣りこまれて読んでしまう。

 

 

 ちなみにチャンドラーの原文は美文とされており、歌いあげるようなスタイルではないが、まったく平易ではない。20年ちかくまえに読もうとして早々に挫折した記憶がある。いまも原書を何冊か棚にいれてはいるものの、読む日がくるかは微妙。名訳があるのだからそれを読めばいい、原文は参照したいときだけ引けばいい、いつの間にかそんな風になって久しい。

 

 なお、ロシア文学の翻訳は神西清で決まりなのだそうである。こういうのは学生時代に先輩がいっていただけでさしたる裏づけはないが、あえて反論する気も起きない。