芸における花

 論語に曰く「過を観てすなわち仁を知る」と。

 

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 花を咲かせるには時間がかかる。もっと言えば、土を整え、水を遣り、うまく育ってくれたとしても、咲くとは限らない。播種、育成、待機の「待機」が延々続くことはよくある。そのうちに諦めてしまったり、諦めるとまでは行かずとも、ボルテージが下がるのは、いたって普通のことだと思う。

 

 それだったら、小さくても最初から咲いている花があるなら、それを大事にすればいいんでないのと思ってしまう。積み重ねの結果として得られるものがある一方、気づいたときにはもう手に入っているものもある。初めから備わっているように見えるだけで、水面下の継続の結果かもしれないが、気がつかなければデフォルトである。他人の努力をわざわざ探して評価する人はそんなにいないし、当人が努力と感じていなければ、なおさら表には出にくい。

 

 芸における花には一面そういったところがあるのかもしれない。山本夏彦が「向田邦子は突然現われてほとんど名人である」とどこかに書いていたが、ひょっとしたらこれも似たような話なのかもしれない。

 

 ぼちぼち向田邦子も読み直していこう。