かみあわない

 相手がとるにたらぬことをいっていると思ったときは「そう思うの」とだけいえばいい。

 

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 便利な道具があるということと、じっさいに便利になるということは、まったくべつのことだ。説明書の説明書など読んでいたらおじいちゃんになってしまうし、そうでなくても、便利ということは、そのことで失うことも多いということなのだ。便利を便利として使っているわけではなく、便利という流行に乗っているだけでは、いつのまにか荒廃が忍び寄ってくるのである。

 

 流行は既成や既製や規制にたいする反発から生まれ、流行した瞬間から反発していたものになりかわってしまう。内容から形式になるといってもいいし、自己表現から趣味になるといってもかまわない。

 

 ちかごろでは自由をもとめて流行に乗るということはあまりなさそうだが、形式をまもらなければならないのは不自由だし、ただ形式にそっているだけでは反発力や弾性はうしなわれてしまう。それではただの手続き主義だ。

 

 情報がふえれば理解が深まるとは限らない、閃きに水をさすこの文型は好きになれないが、そういうことのようである。

 

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 といって「情報はないよりはあったほうがいい」などと口にすると、今度は「情報がすくないほうが想像力がはたらいて独自のものが生まれる」などといいだして埒があかない。最後には「場合による」などといって澄ましているのも気にくわない。

 

 個別具体的な質問に一般論で答えてどうする。レアケースに定石で応じてどうする。かみあわない。

 

 相談するのはいい、しかし問題をかかえているひとはやはり最後にはじぶんで考えなさいということか。それならまだわかる。

 

 ・・・今日は話がすすまない。いつもか?