節約を趣味にする。ゲームのように節約する。それでひとまず貯めてはいるものの、いかんせん、これまでの散財が響いている格好である。
これ以上削ると、いまはよくてもあとでよくなくなるので、どうしようもない。都へ行くと、削るどころか追加でおかねがかかるので、よくなくなくはない。といって「なくなるまで買わない」作戦を採用すると、したいときに手もとにないというパターンになるので、塩梅が必要である。
いまいらないから捨てるというのは、浅はかである。かんがえなしである。所有から逃げているだけである。そういうときがあってもいいが、リスクは承知しておいたほうがいい。
そのときどきでしたいことをするだけでは、資質を育てることはできない。育成には方向性が必要だからだ。それを定めていくために、準備をして、場合によってはなん十年もかけて、舵を調節していく。
鍛錬であり修業である。修業時代はおわらない。鍛錬をつづけられなくなったとき、はじめて糸の切れた凧になるのである。舞い上がるのか地面に落ちるのかは風しだいだが、凧のほうにも責任はある。
つまるところ、道具とは、われわれが幸福に向ってすすむのをたすけてくれる杖ではないかとおもう。そういうものをポイポイ捨ててしまったら、早晩、どこへも行けなくなる。
という理屈でギターを買おうとおもっている。信用しないで下さい。
以上、連絡おわり。