現実がそのとおりにならないから理想なのである。理想は現実をはかるものさしであり、テコの支点のように、そこから現実をうごかしていこうとする。
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ひとりよがりの甘さをふくまない生はない。というより、甘さなしに生を保つことはできない。生きていることじたいがうれしいことであり、よろこばしいことであり、ありがたいことであり、おいしいことであり、北大路魯山人のいうように「うまいは甘い」ために、甘くなるようにできている。これをきびしくしようというのは無理筋である。
行住坐臥、いつも死を見据えながら生きるというわけにいかない。生はそれじたいが認識の甘さによって保たれているのである。
生活設計をたえず修正し、生活そのものを吟味しなおすのはいい。おりおり人生に対する構えかたを見直すのはいい。とはいえ、それでしあわせになれるわけではないというのも、あわせて認識しておかなければならないだろう。そういうのは幸福と目標達成とを一緒くたにしているだけである。
つまるところ、われわれは行きかたができてから生きるのではない。ゲームの攻略本のようなわけにはいかないし、さらにいえば、攻略本とてすべてを網羅しているわけではない。知らないことは知らないままである。
畢竟、われわれにできるのはこころがまえだけなのではないかとおもう。現実の解決はもっとながい時間にゆだねられている。
以上、連絡おわり。