Working Class Poet

 自由を得たければ自由を話題にしないのがいい。クライミングでホールドをとりにいくとき、そっぽを向いたほうが遠くまで手をのばせるのと似ている。

 

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 好きなようにのる。どんなのりかたをしてもいいし、だれにも指図されない。好きなところに限界をきめることができる。むろん、のらなくてもかまわない。それが自由だ。

 

 むろん、自由には責任が伴うので、好き勝手できるわけではないが、それにしてもである。全部が全部とはいわないが、概してそうだとおもう。

 

 現代では流行は追いかける必要がない。配信で居ながらにしてお取り寄せできる。それがほんとうに流行なのか、たんなるフェイクニュースにすぎないのか、みえにくくなっているともいえるが、気づかなければ問題は生じないので、だれも気にしなくなっている。そういう意味では非常に自由になっているともいえる。

 

 どこか遠くとつながっていればそれでよく、なんならまわりのだれにも気づかれなくてかまわない。それを特権的なたのしみにおもえるからだ。したがって、日常生活をおくるうえでバツをつけられなければ問題はない、そういう行きかたになってきている。

 

 同調圧力の裏に相互扶助がくっついていればバランスするのだが、現状ではそうはなっていない。したがって、同調圧力じたいを生じにくくするような方向に、ものごとはうごいていっているようにみえる。

 

 これが従来の職場の人間関係とぶつかるのは当然だ。むしろこのあたりから組織の体質そのものがかわっていくことになるかもわからない。以上、連絡おわり。