書かれたものは、いってみれば月をさす指のようなものであって、月そのものではない。まして、他人の指差したものは、どれだかわからないことがおおいとかんがえると、書かれたものは参考にすべきではあっても、さがしものそのものでないのは明らかなようにおもう。
ひとに助言をもとめるのはいい。しかしながら、自分がのぞむときに聞くようにしないと、めいめいの雑多な意見に左右されて、何をしたかったのか、おもいだすことさえできなくなる。
さがしているものが一向にでてこないのは、さがしものがはっきりしていないせいもある。なくしたものをさがすときも、ものの形がうろおぼえだったら、目には止まりにくい。ぎゃくにいうと、さがしものがはっきりしていないときは、おもいもよらないものが見つかるともいえる。
それがどうしたといわれても困る。自分がそうやって日々暮らしていることに気づいたというだけのはなし。
以上、連絡おわり。