ぶら下がり日誌〜ボルダラーへの道〜

子育て、仕事、パン、文具。ときどきファミコン。

幽波紋

 誰かに向けて書こうとおもわずに、自分に向けて書くようにしたら、飛躍的に書きやすくなった。なかば私小説を書くつもりでいると、文は湧きやすくなる。そこまでいかなくても、随想か、創作随筆をしているとおもえばいい。

 

 岩登りでWitness Positionをとることをおぼえたせいで、壁を離れても自然とそういうことができやすくなったとみえる。ある種のスタンドといっていいかもわからない。

 

 なんせ、こまめに記録をつけておかないと、自分のことは信用できない。すぐに忘れるし、記憶も捏造してしまう。油断すると柄にもないことをしたり、180度ちがうことをいったり、筋の通らないことをしたりする。

 

 日々の泡を記録して、杖としてつかう。それだけでなく、そういうものから、己の影でもペルソナでもアニマでもなんでもいい、何かしら抽出できないかとかんがえている。


 気になることがあるとすれば、書きながら読みながら書いているので、相互作用していることだろうか。もし、読みなおさず書きなおさず前後の辻褄を合わさず半自動筆記で書きつづけて、他人に編集してもらえば、かなりいいところまで浮き彫りにできそうな気もする。そのようなもの好きはいないので、DIYしているというだけである。


 要は、書くことによって、自分自身も何かしらかわってしまうということをいいたい。それがおもしろくて書いている側面もあるし、ひとによっては積極的に自分をかえるために書くひともいるのかもしれない。


 行為の記録だけをひたすらつけていくというのは、わたしにはできそうにない。以上、連絡おわり。

 

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