ぶら下がり日誌〜ボルダラーへの道〜

子育て、仕事、パン、文具。ときどきファミコン。

日々是

 閉じる日、消える日、去りゆく日、そしてまた、次の日。

 

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 今週のテーマはヘルシー、でいこうと思う。勝手にいま決めた。最近は食生活が乱れっぱなしで「放っておけば一周して元に戻るだろう」などと甘い考えを抱いていたらいつまでたっても回復の兆しがない。どうやら意に反して急坂を滑り落ち続けていたみたいである。読み違いというやつですね。

 

 ジャンキーな食生活をやめてヘルシーなそれを始めることがその逆に比してはるかに難しいのはまずジャンク品をやめなければならないゆえである。いったいジャンクフードのどこがこれほどまでに我々を引きつけるのか、栄養学的あるいは精神医学的な説明はあるだろうが、食べ物に限らずジャンク品の魅力はそのガラクタ性にあるのじゃなかろうか。

 我々の奥底に眠る無用者への憧憬、それが物の形をとってゴミのような品に仮託され結実するのではないか、そんな風に私は考えている。

 

 そんなわけでマーク・レントンよろしく水と豆だけを持って部屋に閉じこもっている。殆ど断食だ。つらい。

 

 まあはっきり言ってこんな極端な事態に陥る前に平衡を取り戻すようにすればいいだけの話で、人間の身体には恒常性維持機能―ホメオスタシス―がある筈なのだから黙ってそれに任せておけばいいと思っていたのやが、どうやらこいつは本能や何かに比べてずいぶん受け身であるようで、何というか住めば都というか、それなりに適応するという位でとてもそれだけに任せるわけにはいかないようである。最近になってようやくそれとわかってきた。

 まったくそんなことがわかるのに何十年もかかるなんて余程バカだが、しかしわかりはじめたのは良いことだ。

 

 だから平衡を取り戻すためには意志の力が不可欠で、肝心のそれがジャンク品によって侵食された現状では回復はきわめて難しくなっている。以上報告おわり。

 

 老子曰く「大きなことはそれが小さいうちに処理せよ」というのがあるが本当にそういう感じになる。もう少し早く思い出せばよかったな。それですでに大事になってしまったものはどう扱ったらいいかと考えて、「小事ほど慎重に、大きなことは軽く取り扱え」という言葉を思い出して―出典は定かでない―とりあえずそれを頼ろうとしているけれど、どうしたものだろう。健全な精神が破綻した状態ではいかなる言葉も届かないのかもしれない。

 

 ま、ともかく検証してみよう。