空は高すぎる

 上越線に注意! ドアが半自動の際は手で開けてください。

 

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 基幹となるターミナルだというのに、駅前から見える景色はほぼローカルだ。土曜の昼まえだというのに人出がほとんどない。車もすくない。完全に移動のための中継地点といった趣である。

 

 構内に広大な土産物スペースと食事処があるという点では新青森駅とコンセプトはおなじである。設計者がおなじなのか、それとも駅の造作にひながたがあるのかまではわからない。

 

 路線図をながめてみるものの、知っている駅は見当たらない。どうやら逆方向へがんばれば会津まで行けるようだ。新潟から酒田にいたる道もある。自分の頭にないものは、ややもするとないものとおもいこんでしまいがちだが、どうやらこの国はおもったよりも多くの仕方で、たがいに結びついているようである。

 

 それにしても、新潟から長野というのはブラックボックスというか、バミューダ海域というか、あいだにこれだけ駅があるのに知っているのがほとんどないし、位置関係も不明である。まるで外国だ。異次元―失礼!―の世界である。

 

 それで電車のはなしにもどると、降りるときはエアーの抜けるのを待って手動でドアをあける。当然のごとく無人駅だが、乗るひとがふたり、待合にもふたりいて、いずれも高齢者だ。無人駅にひとがいたら無人じゃないが、いたのは客なのだから許してもらいたい。

 

 たどりついた目的の駅は、これまで仕事で歩いてきた田舎をいっしょくたにしたような様子、と書いてはみたものの、これは自分のなかに田舎の参照項目がふえただけのはなしだ。年をとると否応なしに抽斗がふえる。

 

 要は田舎というひとことで片づけてしまうにはあまりにも田舎。以上、報告おわり。

 

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 ・・・などと書いていた街に9年ぶりにでかけることになった。その顛末は、また次回。