手経験値

 向田邦子のエッセイに、ときどき印刷屋さんがでてくる。かんがえてみれば、現代のブロガーは、ひとりで書き、編集し、印刷しているようなものかもわからない。

 

 推敲の機会がふえるいっぽう、発表するまえに他人の目にふれることがへった。むかしはいちど出版したら書きなおすのはむずかしかったが、いまは更新という名の修正がいつでもいくらでもできる。配信ゲームでバグにパッチをあてるのといっしょである。

 

 一発勝負の集中力とくらべて、手ぬるさを嘆きたくもなるけれど、こういうのは前提がかわってしまったので、むかしをなつかしんでもしかたがない。いってみればプレーヤー自身がデバッガーになっているわけで、そのうちにゲームプレイのなかにデバッグが巧妙に組みこまれてくるかもしれない。あるいはすでにそうなっているのかもわからない。

 

 さらにいえば、ちかごろではクエスト単位であそんで明確なエンディングをもたないゲームもふつうなようなので、プレーヤーと製作者が協力して作品をつくりあげていくというかたちが、市民権を得てきているのかもしれない。

 

 筆者はレトロゲーマーなのでオンラインの世界は門外漢である。こういうのを完成度の低下ととらえてもしかたがないというのがわかるだけである。しぜんな成り行きにたいしては、そういうものだとしかいいようがない。

 

 さいきんになってようやく気づいたのは、ドラクエがFFにくらべて圧倒的にテキスト文化であるということ。だからまほうも「きかなかった」でいい。バギクロスなら台風の目にはいるようなことがあるだろうし、イオナズンなら爆心地と周縁部で被害がちがってしかるべきである。

 

 FFは戦闘中のテロップがほとんどないので、そういう説明はしにくい。したがって、ぜんたいこうげきをすると、ダメージ値は均等に分割される。とくにドラクエのダメージ値の計算式がどうなっているのか、子どものころからずっと気になっているが、いまだにちゃんとしらべられていない。

 

 似たようなところで、FFⅢに「手経験値」という隠しバロメーターがあったことは大人になって知った。当時は友だちの家で「まだこの武器に慣れとらんのじゃろ」などといいつつあそんでいたのだが、むしろ正解だった。

 

 『ロマンシング・サ・ガ2』における「参照値」も同様である。子どものころは理屈がわからず、友だちと「なんじゃいまの。まぐれか」などといいながらぜんめつしていたが、芸がこまかいというか、こういう微妙なブレの演出がリアリティをうむというか、よくもまあこんな仕様をおもいついたものだと感心するほかはない。

 

 できることなら当時の開発陣に経緯をきいてみたいものである。以上、連絡おわり。