年齢をかさねると、一流の新品より、つかいこんだ二級品のほうが評価されることがあるとという。小市民の一員としては、すくないものをながくつかっていくだけなので、はじめから選択の余地はないのだが、そういうことがあるという。
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さておき、万年筆ばなしのつづき。8年まえのブログを見返していたら、大先輩に「パイロットの1,000円くらいのでいい」といわれていた。例の見習いパイロットがそれにちかいようなので、知らぬ間に入手していたことになる。
いつものモンブランはGoogle先生の調査によって145であると判明した。146でもないし、何かとおもっていたら、145があった。
大先輩のいっていたとおり、このひとは硬い気がする。あと10年も書けば柔らかくなるだろうか。経年変化については検証に時間がかかる。
ためしたことがないせいで、14金だろうが18金だろうが硬いことにかわりはないんじゃないのとおもってしまっている。むしろ、つかいこむと軸がヘタって胴からしなるのではと推測しているが、ぜんぜんちがうかもしれない。筆圧をかけなければ硬さも何もなく、力をこめなければペンに負担はかからないので、変化を知るには時間がかかりそうである。
そのうちブティックに行って146と149を見てこよう。ためし書きはできないだろうが、もってみれば雰囲気は感じとれるだろう。
かつて本社の部長がいっていた書きぐせうんぬんというのも、つかいこまないと上書きされないのではないかとおもっている。ギターとおなじではなかろうか。すなわち、愛着がとてもあるので、だれにでも気やすく触らせたりはしないし、よく鳴るポイントがかわるまでには、相応に弾きこまねばならない。
なんせ、世に潜む万年筆つかいを見つけるためにも、145はつねに携帯しておこう。以上、連絡おわり。