前回のつづき。
ひとは自分の見たいものを見るように、守りたいものしか守らない。守っているのは自然法則だけで、それにしたところで「人間原理」などといいだすひともいるので、一概にはいえない。
したがって、ひとのつくった規則など、守らないひとがいて当然である。見方をかえれば、運用が刻々とかわっていくような、ひとのつくった規則というのは、どこまでも場当たり的であるともいえる。
ついでに申し上げるなら、度外れていいということは、めちゃくちゃにわるいのとおなじことである。なぜならそういうものはバランスを崩すから。不完全なルールどうしのあやうい均衡によってかろうじて成立している世界は、そうしたバランスブレイカーによってかんたんに致命的に破壊される。
火事がなくなれば消防士はいなくなり、ポイ捨てがなくなればゴミ拾いの仕事はなくなる。平時の英雄はただの不穏分子である。きのこをとりつくせば来年の収穫はゼロだし、鶏のたまごを食べつくせばつぎに産むものがいなくなる。
あまり極端にはしってもいいことはすくない。極端にはしるひとに中庸を説くのが貝殻で海を干すようだというのはまたべつの問題である。以上、連絡おわり。