ついつい

 昔のゲームソフトを購入してしまう。いまゲームをやったらいいじゃない、と思うこともあるのだが、ファミコンやらスーファミやらPCエンジンやらネオジオやら、いわゆる家庭用ゲーム機のソフトをみつけると、ついつい買ってしまう。レトロゲーム、とりわけマイナーなゲームの世界観は、一種独特のものがある。

 

 腕に覚えはない。『ゲームセンターCX』の有野課長よりはうまいと思っているが、それも実際のところはわからない。『妖怪道中記』はかろうじてクリアできるが『スーパーチャイニーズ』の8-4ぐらいになるともう厳しい。『魔界村』は一生クリアできないと思う。『アクトレイザー』くらいがちょうどいい難易度に感じる。

 

 思い返すと、小学生だったころは、RPGでも普通にクリアできずに放置していた。スクエアのサガシリーズなどはその典型である。あとはドラクエ2だったと思うが、どういうわけか途中でスタックして、結局クリアしたのはそれから16、7年後である。RPGの場合、すこし間をあけると、どこで何をしていたか忘れてしまうのが原因で、お使い系のゲームではとくにそれが起きてしまいがちである。

 

 周りにきくと、さいきんのゲームには「これまでのあらすじ」を見られる機能が用意されているらしいが、それもなんだかなあという感じがする。本でも映画でもおなじだが、十分におもしろければ、ぶっ通しとまではいかずとも、それほど間をあけず最後までつづけて鑑賞するわけで、それができにくくなっているのは、まあ、おもしろがる余裕、または精神の瑞々しさが、失われつつあるということかもしれない。困ったものである。

 

 ジャンク屋に『ダンジョンマスター』があったのでここ数日プレイしている。PCゲーム由来の違和感がおもしろい。たぶんクリアできないだろうが、ひとまずはそれでいい。ひとまずは。