ぶら下がり日誌〜ボルダラーへの道〜

子育て、仕事、パン、文具。ときどきファミコン。

頭のいいひとたちのいうことは

 ここ3日ほど季節はずれの風邪をくらってウンウンいっている。育休をとってこのかた、ひとに会わない暮らしをつづけているのに、どうしてこうなるのかわからない。日ごろの行いとしかいいようがない。


 どうやら免疫というものは、ミトコンドリアや筋肉とおなじで、甘やかすとサボるもののようである。こう書くと、世の中のたいていのものは放っておくとサボりだすんじゃないかという気もしてくる。すぐに「すべてが〜」などといいだすのは病人のいいぐさだから聞きながしておけばいいのだが、要はuse it or lose itなんじゃないのということをいいたい。


 ずいぶんまえに読んだ本に、意志力について、つかえばつかうほど衰えていくとしている国が大半であったのに対し、インドだけは例外で、つかえばつかうほどつよくなると書かれていた。意志力はフィジカルと結びついているから、歳ともに衰えるのが普通なような気がするのだが、意志力をワガママといいかえたら、そうでもなくなるような気はしないでもない。どっちだかわからない。


 ・・・だめだアタマがいたい。われるようだ。首から下はまるで他人のもののようで、首から上は痛みに支配されかけている。


 こういうときはせいぜいデタッチメントしてのりきるしかない。なにかわるいことが起きたとき「ウン、知ってた」とおもって対処するというのを、私は岩登りから学んだ。想定外のことが起きたときは、さらに起こっていたかもしれなかったもっと深刻な事態を想定して、そうならなかっただけマシとかんがえるか、現状のポジティブな面をみつけてそこにフォーカスする。

 

 とりあえず呼吸はできている、刺されたり撃たれたりする心配はない、つらいことはつらいが、にもかかわらず自分は安全なのだ、など、など。そのように自分にいいきかせることによって、ひと呼吸ずつ時間をつかう。なんなら咳をださずに息ができるたびに己の幸運をことほぐ。


 そのようにして数日がすぎると、熱のほうも張り合いがなくなったのか、どこかへ去っていった。


 つまるところ、無理がたたるまえに引き返せるようになればいいのだが、無理はがんばりのさきにあるので、がんばるのが好きな種族にとって、いつまでも無理しないでいるのはむずかしい。それはサバに向って「おまえは泳いでばかりでいかん」というようなものだ。

 

 それにつけても、咳がでているひとに「なるべく咳をするな」といわれても、なんのことやらわからない。いや、いいたいことはわかるのだけれど、いいかたがあるんじゃないのとおもってしまう。やはり私にはお医者のことはわからん。

 

 願わくば私は貝ではなく鳥になりたい。以上、連絡おわり。