高校3年のとき、現国の先生に「40までは公共のために働きなさい」といわれた。意味がわからないまま「大丈夫ですよ先生」とこたえていたが、いまでもよくわかっていない。
こんな人間が他人に何かを推薦したりして信用されるとおもいますか? 信用しないで下さい。
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前回のつづき。
病はわすれることによって治る。だから嫌なことがあったらわすれてしまうのがいい。気に病むと治癒力が発揮されづらくなる。
それができたら苦労しない、ということで、以下に適当に真言をつくってみた。
波風がたちそうなとき
・こころしずかに落着いている。
暗くなりそうなとき
・今日も生きている。ありがたい。
いいことがあったとき
・これほど恵まれている。ありがたい。
しくじったとき
・死ぬわけじゃなし。
ゲッとおもったとき
・にもかかわらず、私は安全なのだ。
要は「それがどうした」「だからどうした」「己には関係ないや」を具体的なところへ落としこんだだけである。更新できるわけではなく、上書きできるだけだが、それでもだいぶちがうのではないかとおもう。
なんせ、気に障る目にあったら「相手にしない」のがいちばんである。自分の本質には関係ないとおもえばいい。からだやこころに不快を感じたら、デタッチメントして無心になる。そして、気分のよくなるように、こころのなかでネガティブをポジティブに裏がえしておく。
ちなみに福田恆存は『私の幸福論』のなかで「失敗すれば失敗したで、不幸なら不幸で、またそこに生きる道がある」と書いている。これも真言といえるとおもう。
以上、連絡おわり。