神はわれらの避難所

 「世界よ、他意なきわれらを容れよ」か。無理な相談だ。率直さもかんたんに罪になりうる世のなかでは。

―ドクトル・クロコフスキー―

 

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 この不透明な時代に、我々は拠りどころとなる世界を求めずにはいられなくなる。そこでアップデートされた神話が復権するのではないかとおもう。それは集合無意識ではあるだろうが、旧来の物語とは一線を画すものであるはずだ。

 

 それは世界を描いてはいなくても、ある仕方で世界を切り取っていなければならない。その世界は不完全でありながらも、はじめからおわりまで聞き手を引きこまなければならない。語り手にも謎がのこされなければならない。こんなものだれも書けない。禁止事項が多すぎる。

 

 たとえば、すぐれた小説は、読者のこころをべつの地点に移動させる。しかしながら、それはあくまで移動であり、向上とはかぎらない。すなわちそれは恒久的な救いとはなりえない。

 

 ならば小説はつかの間の現実逃避または気分転換の道具にすぎないか? そんなことはないだろう。この移動が精神にとってとてつもなく大切で、そうでなければスポーツでも競馬でもなんでもみんなおなじになってしまう。

 

 ある種のアニメやジュヴナイル系の小説がそうした神話のかわりとしてふるまっているのではないか、そのドメインはどこまで広がっていけるのか、というようなことを書きたかったのだけど、なんのこっちゃ、ワケ、わからんくなりそうなので退散しよう。Have a great day!