倦まず弛まず

 ひとつずつ、ひとつずつ、退路はかりそめの希望とひきかえに燃やされ、埋められ、あるいは沈められる。

 

 もはや換えるものがなくなったとき、われわれは絶望するしかなくなるが、「どうしてそんなになるまで気づかないのか」ときかれても答えられない。問い自体はしごくまっとうで、まっとうな問いに答えられないのは恥ずべきことのようにおもわれはするものの、できないものはしかたがない。

 

 趣味はすこしずつ投機の対象にされ、われわれはかなりの確率で損をするのだが、宝くじとちがってだれも得をしないのはどうしたわけだ? バクチの胴元は透明で見えない。だから文句のつけようもない。

 

 賭けられたチップはいったいどこへあつまっているのだろう。ひょっとしたらそれらはわれわれが天国へ行くまでのレールの部品になっていて、どれだけあっても足りない状態なのかもしれない。

 

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 15年まえにメモ帳にこう書いていた。さっき急につづきがでてきたのでメモしておく。

 

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 天国へ向う部品がきれてしまったのかもしれない。階段はとちゅうまで、指をくわえて行きどまり。

 

 静かに暮らしていくために、何かひとつふたつ要る。何かつきこめるもの。すべて売り払い、引き払い、焼き払い、薙ぎ払い、あたりを払って出払ってしまった。支払いはしばらく自腹。

 

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 とはいいつつ、2年間の休暇中に、捨てたつもりでもっていたものを見つけることになったから、何がどう転ぶかはほんとうにわからない。

 

 やはりひとはかわる。わすれる。しかしながら、いちど手にいれた感覚は、またとりもどせる。自分がおもっているより、自分が自分をわすれていないこともたしか。

 

 ひきつづき直感にしたがって行こう。以上、連絡おわり。