按配

 洗濯あるある。洗濯ものを入れるネットが裏がえっているのを直そうとして、かえって裏がえしてしまう。

 

 気をつけているのにそうしてしまうことがけっこうある。マチがおもてにでているせいだとおもうのだけれど、それだけでは説明がつかない気もする。ウチだけ?

 

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 前回のつづき。

 

krokovski1868.hatenablog.com

 

 大事なのは、目標を達成できないからといって悲観しないことではないかとおもう。目標をたてるまえより向上していれば、目標は立派に役割をはたしているといえる。目標が達成できなくてガッカリしがちなひとは、目標は向上するため、よりよくあそぶための手段にすぎないとおもえばいい。

 

 反対に、いつも目標が達成できるひとは、目標の機能をうまくつかえていない可能性がある。ハードルを上げたほうがいいかもわからない。

 

 むちゃくちゃなことをいえば、目標もまたよくあそぶための手段にすぎない。たんに達成するためのものではない。億劫がらずにちゃんとあそぶために設定するのが目標である。

 

 とはいえ、あまり頻繁に目的と結果をすりかえるのには、何か罠めいたものを感じる。按配がむずかしい。

 

 では肝心の目標をどこに設定すればいいかといったら、これははっきりしていて、「やろうとおもえばできるところ」である。これは各自の経験から導きだされるものなので、押しつけられるものよりは適切である可能性がはるかにたかい。

 

 この点では、ちいさい子どもなどは経験がすくないので、現実的な目標設定は苦手といえるかもわからない。コーチングの出番もふえるのかもしれない。

 

 そうやって目標を設定して、一向に達成できないようなら、「やろうとおもえばできる」レベルは勝手にさがるはずだし、かんたんにクリアできるなら、理想はたかくなるはずである。自分のたてる目標は、自分のなかからでてくるとおもうと、やはり己の感覚を大事にするにこしたことはない。

 

 そういう意味では、自分で自身の目標として設定するかぎりにおいて、それは実現可能であるといえるのではないかとおもう。以上、連絡おわり。